聖教新聞の第1回企画会で、戸田先生はこう言われた。
「この新聞をもって、広宣流布の火蓋を切っていくのだ。あらゆる意味で言論戦の雄とな
らねばならぬ!」
その日、私は日記にこう記した。
「・・・日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と。
わが同志よ、聖教新聞とともに、勇気凛々、正義の獅子吼を日本中、世界中に轟かせてい
こうではないか!
私と妻は常に率先して聖教新聞の拡大を行ってきた
平和と文化の言論戦・聖教新聞が創刊されたのは、昭和26年(1951年)4月20日。当初
月3回の発行で、部数は5000部だった。記者も少なく、皆、素人だった。
私は、戸田先生の事業を支える激務のなか、記事を書きまくり、創刊号から、聖教新聞を
護っていった。
学会本部は当時、西神田にあった。私は、神田中をまわって、聖教新聞を自ら拡大してい
った。「聖教新聞を、日本中の人に読ませたい」 --- 師の夢の実現のため、足元か
ら行動していったのである。
昭和30年の1月。私は、「若き日の日記」に記している。
「素人一名乃至二名で始まったこの紙弾(=聖教新聞)。今、数十万部に近い勢力となる。
人々は笑った。素人に何が出来るか、と。(戸田)先生のいわく ”素人も、五年たてば玄
人になってしまう” と」
私と妻は、常に率先して聖教新聞の拡大を行ってきた。
御聖訓には、「仏は文字によって人々を救うのである」(御書153頁、通解)、「(法華
経の)文字変じて又仏の御意となる」(同469頁)などと説かれている。
聖教新聞の拡大は、即、仏縁の拡大であり、広宣流布への大折伏の意義があることを、知
っていただきたい。
配達員の方々に感謝し、大事に
早朝 --- 普通の人なら、まだ休んでいる時間帯である。つらいけれども、眠ってい
る人には味わえない、あの澄みきった空気。香しい大気。そして赫々と太陽が昇る。
まさに ”朝の劇(ドラマ)” であり、荘厳な ”生命の儀式” である。この気分を味
わえる人は、最高に幸せな人である。
ともかく、配達員の方々に感謝し、大事にしていただきたい。
私も妻も、毎朝、新聞が届けられる時間になると、よく二人で合掌して感謝している。
「今ごろ。新聞が届いたかもしれないね。ありがとう」と。また、新聞を手に取るときも
「配達をされる無冠の友の皆さま、ありがとう」と。いつもそういう思いである。