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会長もブロック長も、広宣流布に生き抜く平等な「一兵卒」である。そのうえで、学会の

役職は「責任職」である。

「広布拡大」を自らの使命と定め、強敵と戦い、同志を守り抜く、勇者の紋章なのである。

ゆえに、役職を受け、その責任を遂行する学会活動は、汝自身の人間革命を成しゆく尊貴

な仏道修行となるのだ。

 

責任を果たしゆく人は安楽で、裕福で、無上の人生を満喫

学会活動に励む功徳は絶大である。また、学会の役職を担い、その責任を果たしゆく奮闘

ほど尊いものはない。

広宣流布のために、一生懸命、働いた人は、生々世々、大功徳に包まれていく。安楽で、

これ以上はないという無上の人生を満喫していける。そして社会の大指導者として、自在

に活躍していけるのである。

必ず、そういう大境涯を開いていける。 ”そうなるに決まっている”と見るのが、妙法で

ある。

 

世間は評判、仏法は因果 ゆえに学会の役職は三世にわたる功徳の「因」に

学会の役職は、平凡に見えるかもしれない。しかし、戸田先生は、よく「世間は評判であ

る。仏法は因果の理法である」と教えてくださった。

この全宇宙を永遠に貫き通す厳粛な「因果の理法」からは、だれ人たりとも絶対に逃れる

ことはできない。

自分の受けた役職を、わが使命と定め、責任をもって真剣に戦いぬく人は、仏法の法理の

上から、三世にわたって勝利と栄光の功徳に包まれることは、間違いない。

どこまでも、真面目に、学会一筋、広宣流布一筋で、生きて生きて生きぬいた人が、最後

は必ず勝利する。

これが、(中略)あらゆる大難を乗り越え、「広宣流布の信心」を貫いてきた私の結論で

ある。

 

自分の「役職」をやりきっていくことである 生命の「位」が上がっていく

学会の役職の仏法上の意義はどこにあるのか。釈尊の仏法では、「六即」とか「五十二位」

とか、菩薩の位を細かく論じた。

日蓮仏法では、「受持即観心」であり、「直達正観」であるから、段階はない。(どちら

も、”御本尊の受持によって、直ちに仏界を得られる”こと)

それを前提にして、やはり境涯の成長の段階がある。「境涯」を上げるためには、具体的

には、自分の役職をやりきっていくことである。

少しむずかしいが「境智行位(きょうちぎょうい)」という法門がある。簡単にいうと、

「境」とは獲得すべき真理である。広げていえば、客観的な基準とか、客観的な目標にあ

たる。

学会の役職でいえば、その役職にともなう果たすべき使命が「境」にあたるであろう。

支部の副婦人部長であれば、その果たすべき「使命」と「責任」がある。それが「境」で

ある。

その使命を果たすために、自分の「智慧(智)」を尽くし、「行動(行)」を尽くしてい

く。そこに、結果として、仏法上の「位」が決まっていく。すなわち生命の「位」が定ま

っていくのである。これが「境智行位」である。

ゆえに、役職が高くても、その使命を果たしていなければ、何にもならない。実際の仏法

上の位は低い。だから役職だけではわからない。役職が低くても、広宣流布へ、偉大なる

貢献をしている人が、大勢いらっしゃる。

ゆえに、役職で人を見るのは、大きな誤りである。

しかし、反対に、役職を軽視することは、広宣流布の組織を軽視することに通ずる。

自分は自分として立派に、役職の「責任(境)」を果たしていこう、自分自身の立派な歴

史を残していこう ---と、「智」と「行」を尽くしていくところに、生命の「位」が

上がっていく。

ここに、「役職」の重大な意義がある。その意味で、役職は「人間向上への飛躍台」なの

である。

 

 

 

 

 


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