広宣流布への強き責任感に立つことだ。
「だれかがやるだろう」とか「何とかなるだろう」という、いいかげんな気持ちが一念に
あれば、自分で自分の仏界を傷つけるようなものだ。
たとえば今月の予定・スケジュールが決まる。それをただ手帳に書いているだけなら、自
分の一念の中には入っていかない。なすべきことを全部、自分の一念の中に入れていくこ
とです。
入れていけば、それが祈りとなっていく。一念三千で、勝利の方向へ、勝利の方向へと全
宇宙が回転していく。
ありのままの自分の良さが光ってくる
学会の役職は、責任職である。自分が置かれた立場で全力を尽くし、使命をまっとうする。
脇目もふらず、愚直なまでに、まっすぐに、自分の決めた道を進む。
それでこそ、ありのままの自分の良さが光ってくる。「自体顕照」の光が輝きを放つので
ある。
同志に尽くした人は 必ず同志に守られる。御本尊が守ってくださる。
どれだけ自分で責任を自覚できるか。自分の背中に責任を担えるか。これでリーダーは決
まる。
「部員さんを一人残らず幸福にしてみせる」「わが地域に立派な広宣流布の基盤をつくっ
ていくのだ」「日本一、世界一の組織にしてみせる」。 この責任感である。
また「あの人の悩みは何か」「この人の仕事はどうか」「体の調子は」「ご家族は」と、
一人一人に心を砕いていく。この慈愛である。
「一念に億劫の辛労」(御書790頁)を尽くした祈りと行動から、相手の心を揺さぶる言
葉が生まれる。慈愛の振る舞いが現れる。
責任の大きい人は、労苦も悩みも大きい。しかし、だからこそ人間が鍛えられる。名指導
者へと成長できるのである。
ともあれ、広宣流布の同志に尽くした人は、必ず同志に守られる。御本尊が守ってくださ
る。そして、三世永遠の功徳の流れをつくることができるのである。