• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

「決めつけ」はいけない。「どうせこういう人なんだ」と決めつけたら、その一念で、

相手の成長を止めてしまう。自分の成長も止まる。

「必ず変わるんだ」「仏界があるんだから、必ずいつか開花するんだ。させてみせる」と

決めて祈りきっていくことです。

 

成長したぶんだけ後輩も育つ 広宣流布は広がっていく

「教弥弥実なれば位 弥弥下し」(御書529頁)---(天台大師は、説いている) 

教えが真実であればあるほど、より機根の低い衆生を救っていけるーーー。

これは、「法」に関しての言葉であるが、敷衍(ふえん)していえば、人間として立派に

成長すればするほど、より多くの人を救える。指導者はその責任を自覚して、自分を教育

し、成長しなければならない。自分が成長したぶんだけ、後輩も育つし、地域に広宣流布

は広がっていく。

 

中心者がいかに力をつけ境涯を開いていけるか ーーー どこまでも「信心」を”本”に

一般にも、「トップの器以上には組織は大きくならない」といわれる。広布の組織も中心

者で決まるといってよい。中心者がいかに力をつけ、境涯を開きに開いていけるか。簡単

にみえて、これほど難しい課題はない。

「信心」が ”本” であり、「組織」は ”迹” である。 「境涯」が ”本” であり、

「役職」は ”迹” である ーーー学会のリーダーの要件は、これが本当にわかっている

かどかなのである。

 

友に尽くすことは 自分の惰性と魔を破るバネとなる

惰性といっても、自分ではなかなかわからない。わからないからこそ惰性なのだともいえ

る。

ある人があげていた「惰性の症例」は、「決意、目標があいまいなとき」「勤行はしてい

るが、具体的な祈りがないとき」「勤行や活動が受け身になり、義務的になっているとき」

「歓喜や感謝、感動が感じられないとき」「求道心が弱くなっているとき」「仕事がおろ

そかになり、信心即生活のリズムが崩れているとき」---などである。

だれもが思いあたる点があるかもしれない。凡夫であるから、やむをえない面があるとは

いえ、大聖人は「信心弱くして成仏ののびん時・某をうらみさせ給ふな」(御書1443頁) 

--- 信心が弱くて、成仏が延びた時、私(大聖人)をうらんではなりません --- 

と仰せである。

信心は「義務」ではない。幸福になるための「権利」である。自分が決意し、自分が行動

したぶんだけ、自分が得をするのである。

戸田先生は、幹部の惰性には、とくに厳しかった。「組織が秩序だってくると、どうして

も幹部の惰性がはじまる。しかし、自分では気がつかない。相変わらず結構やっていると

思っている。この相変わらずが、空転になる」---

幹部の空転は、自分のみならず、組織の大勢の方々に影響がある。自分では「相変わらず」

頑張っているつもりでも、たとえば組織や会合の運営に忙しく、会員一人一人の幸福、成

長への祈りと実践がおろそかになっているーーーこの場合も空転といえよう。

”組織を強くする”といっても、実質的には ”一人一人の信心を強くする” 以外にない。

そのためには、一人の友に「希望」をあたえ、信心の「歓喜」を味わわせてあげることで

ある。

人に「希望」と「歓喜」を与えるためには、自分が「希望」と「歓喜」をもっていなけれ

ばならない。ゆえに仏子に尽くすことは、自分の惰性と魔を破るバネとなる。

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です