御書を開けば、希望の光線を浴びる。 御書を学べば、勇気が出る。智慧がわく。
大聖人の大精神が、わが生命に脈打つからだ。そこにこそ「難を乗り越える信心」の炎が
燃え上がる。
一行でも御書を排して自らの境涯を開く
日蓮大聖人は「法華行者逢難事」で弟子たちに、こう仰せである。
「おのおの互いに、(この法門について)読み、聞いていきなさい。このような末法の濁
った世にあっては、互いにつねに語り合って、いつも後世を願っていきなさい」
(御書956頁、通解)この御聖訓のとおりの実践が学会の教学運動である。
戸田先生は、高らかに叫ばれた。
「創価学会の一つの誇りとするところは、世界最高の教学を持っていることだ」
「学会がここまできたのも、真剣な御書講義と研鑽があったからだ。教学が広布の根源で
ある。だからこそ、全魂を教学にかたむけてきたのだ」
「創価学会の使命は、広宣流布の推進にある。そのためには、教学の振興が大事である」
先生は、幹部にもつねづね、こう語られていた。
「疲れ切った時にこそ、御書を拝読していけ! たとえ一行でも、二行でもよい。御書を
拝して、みずからの境涯を、もう一歩、開くのだ」
御書は心で読む 聞く人の心に読ませる
日蓮大聖人の御書を拝読する際、特に会合など、皆の前で拝読する場合は、「自分の心に
読む」ように、真剣に心がけることである。
皆の代表として、声を出して読むのは、自分自身の声を通して、「聞く人の心に読ませる」
ということだ。
ゆえに、相手の心に響かせるためには、まず、読む人自身が、「自分の心で読む」ことが
重要なのである。その努力が、「色読」「身読」にもつながっていく。
*「色読」「身読」 ともに、教えを実践すること。教えの内容を身をもって読むこと