青年の青年たる証しとは、いったい何だろうか。
もとより年齢では決まらない。信心の眼から見れば、今この時に、「発心」の生命に燃え
上がらせていく人は、皆、妙法の青年なのだと、私は思う。
去年まで、昨日までが、どうだったかではない。今年から、今日から、どう挑戦し、前進
し、勝利していくか。これが本因妙の仏法だからである。
一人一人が、この原点に立ち返り、日々、生まれ変わった息吹でスタートする。ここに、
我ら創価家族が一丸となって勝ち開く『青年拡大の年』がある。
ゆえに、今再び、信心の初心に戻って確認したいことがある。それは清々しい勤行だ。
満々たる生命が漲っていく張りのある勤行である。
朝な夕なの勤行が、どれほど荘厳な儀式であるか。いつでも、いずこでも、真剣な勤行に
よって、我らの生命には直ちに久遠元初の太陽が輝き光るのだ。
私たちが読誦する「法華経寿量品」の自我偈には、『一心欲見仏 不自借身命 時我及衆
僧 倶出霊鷲山』とある。すなわち、衆生が一心に仏を見たいと願い、妙法流布に身命を
惜しまない、その時、仏は多くの弟子たちと共に、ここ霊鷲山に出現する、という甚深の
法理である。
この経文を通し、戸田城聖先生はよく語られた。
「日蓮大聖人の大生命が、我らの体に満ち溢れてくるんだよ。自行化他の題目を唱える場
所も、そのまま霊鷲山となる。そこには、もう不幸などはない」と。
なかんずく、創価の友は、世界広宣流布の成就を誓願の祈りとして掲げている。だから、
尊く強い。
どんな小さな我が家でも、ひとたび勤行・唱題に臨めば、広大無辺なる霊鷲山の会座が広
がる。そして三世の仏菩薩と一体となって、わが一念に大宇宙も包みゆくような境涯を広
々と開いていけるのだ。
御聖訓には、『題目を唱え奉る音(こえ)は十方世界にとずかずと云う所なし』(808頁)
と仰せであられる。
さまざまな分断の亀裂が深まる時代だからこそ、我らは、妙法の大音声をいやまして轟か
せながら、一家眷属にも、縁する友にも、地域社会にも、さらには全地球の国土世間にま
で、「蘇生」と「和楽」と「安穏」の希望の光を贈りゆくのだ。
三十年前、福岡での大会で、力強く万歳の音頭をとってくれた宝友がいる。“村八分”の圧
迫も、また大病も水害も、夫妻して不屈の信心で勝ち越えてきた。今は後継の若人へ、
「地涌の菩薩の題目は、恐る恐るの祈りではない。命の火を点す一心の祈りで、どんな人
の仏性も呼び覚まそう!」と励ましを贈る。
日蓮大聖人は、苦難に挑む門下に仰せになられた。
『釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべ
し』(弥三郎殿御返事、1452頁)と。勝利の要諦を教えてくださっているのだ。
さあ、今日も、新たな発心の勤行から出発である。若々しい題目の師子吼で、勇気凛々勝
ち進もうではないか! 地涌の青年を澎湃と呼び出しながら!
大白蓮華2017年1月号№807巻頭言
----------
青:平和
黄:栄光
赤:勝利
----------
天舞支部所属の一個人サイトです。
支部の方々の活動の一助になれば
幸いです。