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富木尼御前御返事

 

一生成仏こそ人生の根本目的

 

本抄について

本抄は建治2年(1276年)3月、日蓮大聖人が下総国(現在の千葉県北部などの地域)の女性門下・富木尼御

前に与えられたお手紙です。

尼御前の夫・富木常忍は、亡くなった母親の遺骨を携えて、身延の大聖人のもとを訪れ、母の臨終の様子や家族の

近況などを報告したようです。大聖人が、その帰途につく常忍に託して、妻の尼御前に与えられたのが本抄です。

本抄は、「弓箭御書」との別名があります。本抄の冒頭で大聖人は、「やのはしる事は弓のちから」と仰せになっ

ています。

拝読御文で大聖人は、大聖人の一門が成仏するのは疑いないのだから、尼御前は自らの病気を嘆くことなく、いっ

そう信心に励んでいくよう教えられています。

 

「我れ等は仏に疑いなし」

日蓮大聖人は、私たちが仏になることは絶対に疑いないと思えば、何の嘆きがあるでしょうかと教えられています。

私たち信仰者にとって、一生成仏こそ人生における根本の目的です。信仰の実践に励むならば、どんな人も必ず一

生のうちに成仏の境涯を開いていくことができるのです。

成仏とは、現在の自分と全く異なった特別な人間になるとか、現実世界を離れた浄土に往生するということではあ

りません。

大聖人は「成は開く義なり」(御書753ページ)と仰せです。成仏とは、自身の内に仏の生命を開くことです。

それは、今いるこの現実世界で、何ものにも崩されない絶対的な幸福境涯を築くということです。

この絶対的な幸福境涯とは、どこにいても、何があっても、生きていること自体が幸福であるという境涯をいいま

す。自身の生命に絶対的幸福境涯を確立した人は、豊かな生命力で人生の逆境を乗り越えていくことができるので

す。

拝読御文で大聖人は、皇妃になっても、天上界に生まれても、何になるでしょうと教えられています。こうした仰

せからも、成仏こそ人生の究極の目的であることが明らかです。

お妃となって栄華をほしいままにしても、現世のみのはかない楽しみでしかありません。また、天上界に生まれた

としても、結局は迷いと苦悩の悪循環を繰り返し、永遠の幸福を享受できるわけではないのです。

そして、一生成仏を果たすために大切なことは、何があっても信心を貫き、実践を通して信心を強盛にしていくこ

とです。 

大聖人は、ただ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えていきなさいと教えられています。こうした信心の実践を

通し、何ものにも揺るがぬ信心の確信を胸中に築いていくことで、私たちは一生成仏の道を確実に歩んでいくこと

ができるのです。

仏法は、過去世、現世、来世の三世の生命を説きます。私たちは今世で一生成仏を果たすことで、永遠に崩れるこ

とのない幸福境涯を確立することができます。

仏の境涯は、『自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり』(同724ページ)と大聖人が仰せのように、死を

も超えて続いていくとされるのです。

 

女人成仏

竜女のあとを継ぎ、摩訶波舎波提比丘尼の列に並ぶことができるとの仰せは、富木尼御前が必ず成仏することを教

えられています。

「竜女」は、法華経提婆達多品第12に説かれる竜王の娘です。

竜女は、文殊師利菩薩が妙法を説くのを聞いて菩提心を起こし、その身のままで成仏したと説かれます。

これによって、爾前の諸経で許されなかった女人の成仏が初めて明かされました。

日蓮大聖人は『抑女人は一代五千・七千余巻の経経に仏にならずと・きらはれまします、但法華経ばかりに女人・

仏になると説かれて候』(御書1188ページ)と仰せです。

ここでは、法華経以前に説かれた諸経では女性の成仏が許されなかったこと、そして法華経だけが女人の成仏を

いていることが示されています。

また、「摩訶波舎波提比丘尼」は、釈尊の生母・摩耶夫人の妹であり、摩耶夫人が釈尊出生後7日で死去したため、

釈尊を養育しました。

摩訶波舎波提比丘尼は、釈尊の父である浄飯王の死後、出家を志し、三度、釈尊に請願して出家を許され、仏教史

上最初の比丘尼(=出家の女性)となりました。彼女は、法華経勧持品第13で成仏の記別を与えられ、『一切衆

生憙見如来』(法華経413ページ)の名号を与えられています。一切衆生憙見如来とは、一切衆生が喜んで見え

る仏との意味です。

本抄を頂いた当時、富木尼御前は自身の病気で悩んでいたことが本抄からうかがえます。

大聖人は本抄で、富木尼御前は法華経の行者であるから、思わぬ死などあるわけがないと仰せです。そして、法華

経は功力のある経であるゆえに、病気が治癒しないはずはないと確信していくよう、力強い励ましの言葉を綴られ

ています。さらに、心の中で、あれこれ嘆いてはいけないとも教えられています。

大聖人は本抄で、どこまでも富木尼御前の心に寄り添いながら、こまやかな慈愛で尼御前を励ましておられるので

す。

富木尼御前は、こうした大聖人の御指導を受け、長寿の人生を全うしました。

大聖人は、男女の別なく激励され、特に不幸と戦う女性には、どこまでも温かな心で励ましを送り続けられました。

この大聖人の慈愛と真心を胸に刻み、信心根本に人生の幸福を築いていきましょう。


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