本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治3年(1277年)、身延から鎌倉の四条金吾に与えられたお手紙です。
大聖人が佐渡に流罪され、大聖人一門が大弾圧を受けた時にも、金吾は鎌倉の門下の中心者として一歩も引かずに
戦い続けました。
文永11年(1274年)、金吾が主君の江間氏を折伏すると、金吾は江間氏から疎まれるようになります。そし
て、金吾に嫉妬していた同僚たちは、この機に乗じて讒言や中傷を行い、江間氏は金吾に「領地替え」を命じまし
た。
さらに建治3年6月、鎌倉での桑ケ谷問答で、大聖人の弟子の三位房が、京から下ってきた竜象房を法論で破りま
した。金吾は、この法論に同席しました。
ところが、この桑ケ谷問答で金吾が武装して法論の場に乱入したというデマが、でっち上げられ、それを信じた江
間氏は金吾に、「法華経の信仰を捨てる起請文(誓約書)を書け。さもなければ所領を没収する」と命じました。
本抄は、この事件の後、大聖人が金吾の報告に答えられたものです。
拝読御文
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦
仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』
金吾の幸福を祈り続ける師匠
日蓮大聖人は、四条金吾のことを絶えず、法華経、釈迦仏、日天子に祈っていると述べられています。
金吾が誠実に主君に仕え抜いて、主君の誤解を晴らし、信頼を勝ち取っていくことができるように、師匠である大
聖人が祈ってくださっていたのです。
この時、金吾は“信心を取るか、所領を取るか”の選択を主君から迫られていました。どんな時も、信心を選び取る
ことが根本です。ただし、信心を選び取るといっても、それがそのまま所領を放棄し、主君のもとを去るのではな
いことは明らかです。
大聖人は本抄で『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』(御書1169ページ)と仰せです。
この時、金吾が主君から法華経を捨てるように迫られたのは、主君が金吾についてのデマを信じたことが原因でし
た。そもそも金吾に“非”はありません。
ゆえに、金吾が忍耐強く誠実に主君に仕えていけば、金吾の正義は明らかとなるのであり、主君からの信頼を必ず
回復することができるのです。
大聖人は、これまでも、江間氏が金吾にとっての恩ある存在であることを教えられています。主君・江間氏に仕え
ることで、金吾は生活を保障されているからです。
そして、大聖人は金吾の性格を十分に考慮しながら、金吾が必ず勝利していけるように、本抄でも事細かな注意を
与えられています。金吾は一本気な性格であり、その性格がともすると裏目に出かねないことを、大聖人は心配さ
れていました。この時、金吾にとって、信心の偉大さを示すために、決して感情に左右されることなく誠実に主君
に仕えていくことが何より求められたのです。
そして、金吾は、大聖人の御指導の通りの実践で、後に主君からの信頼を取り戻し、新たな所領を賜るという信仰
の実証を示していきました。
弟子の勝利をどこまでも願う師匠の心に応えて、信心を根本に断じて勝利していこうとする挑戦に、師弟不二の実
践があることを心に刻みましょう。
「法華経の命を継ぐ人」
日蓮大聖人は四条金吾のことを、「法華経の命を継ぐ人」と仰せです。池田SGI会長は本抄の講義で、大聖人が
広宣流布・民衆救済という「法華経の命」を蘇らせたと述べています。
どこまでも民衆救済を願い、その行動に徹するのが仏です。そして、この仏の心が結晶した経典こそ、法華経にほ
かなりません。法華経は、釈尊滅後の悪世末法に妙法を弘めゆく使命を仏弟子に託すことが、その主題です。仏の
心のままに民衆救済を願い、妙法を弘める仏弟子が現れてこそ、人々の幸福は実現されていくからです。
そして末法において、法華経に秘められた成仏の根本法を南無妙法蓮華経として顕し、万人成仏の道を開かれたの
が大聖人です。
拝読御文で大聖人は、御自身が仏になろうと願ってきたことを述べられています。大聖人が法華経の行者として不
惜身命で大難と戦い仏の境涯を開かれたことは、法華経が経文の上で明かしている成仏を、凡夫の身に事実の上で
証明するものでした。そして、大聖人が末法の御本仏として、妙法と一体の生命を御本尊に顕され、成仏の道が万
人に開かれたのです。
本抄に即すと、金吾が信心を貫いて苦難を乗り越え、妙法の功力を示していくことを大聖人が心から期待されて、
「法華経の命を継ぐ人」と呼び掛けられたと拝することもできます。
法華経の命を受け継ぐ大聖人門下がいて初めて、仏法の功力は明らかとなり、その人の妙法弘通の実践を通して自
他共の幸福が広がっていくからです。
現代において、創価学会の三代の会長こそ、法華経の命を受け継ぐ広布の指導者です。そして、三代の会長を、広
布の永遠の師匠として前進する私たち創価学会員、皆が法華経の命を継ぐ人であるといえます。
そのうえで、青年部・未来部という広布後継の育成に励んでいくことも、法華経の命を継がせゆく実践となります。
自らが大聖人門下として自行化他の実践を貫き、仏法の偉大さを示していくことが、法華経の命を継ぐことになり
ます。と同時に、“広布の人材に”との思いで信心の後輩を励まし続けることが、法華経の命を継ぐ人を育んでいく
ことになります。
この両者があって、自他共の幸福を広げる広布の未来は確かなものとなるのです。
SGI会長の指針から 「仏法は勝負」の心で信仰の実証を
大聖人が示された、「仏法は勝負」の信仰を貫いてきたのは、創価学会しかありません。 (中略) 恩師は、
常々語られていました。
「我々は絶対勝利の信心をしている。その自覚から、仕事にせよ、何にせよ、断じて勝つことが大事なのだ」
「仏法は勝負だ。闘争を開始するからには、それだけの準備と決意と闘魂をもって、断じて勝つのだ!」(中略)
まさに、創価の三代の師弟は「仏法は勝負」を魂として、一切に勝利してきました。
いかなる人にも、仏と魔との戦いという、生命の根本の闘争があります。仏法は、この根本的な勝負に勝つための
法です。勝ってこそ正義です。仏法の正しさも証明されるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)
◇ ◆ ◇
仏法は勝負です。一人の信仰者の勝利が、仏法の勝利です。
師である日蓮大聖人は、御自身が「仏法は勝負」と厳然と障魔と戦われ、すべての魔性を打ち破られました。
末法に生きる私たちの勝利の道を無限に開いてくださいました。その勝利の実証によってこそ、末法の衆生を救う
大法が、この現実世界への流通を開始したのです。
大聖人は、広宣流布・民衆救済という「法華経の命」を蘇らせたのです。では、この命を継ぐのは誰か。この道を
さらに広げ、末法万年の人々を救うのは誰か。それは師と同じく「仏法は勝負」と挑戦し、勝ち切っていく弟子以
外にありません。
師弟が共に勝利した時に、そこに広宣流布の歴史が生まれ、末法万年への潮流となって迸るのです。
大聖人は、弟子の勝利のために、金吾のことを絶えず祈り抜かれていると仰せです。それは、弟子の幸福を祈る大
慈悲であることは言うまでもありません。とともに、何よりも、広宣流布の流れを絶やさず、法華経の功力を継承
させていくためであるからと仰せです。
「法華経の命を継ぐ人」が出現したことは、師匠の勝利であり、仏法の勝利です。
あとは弟子が、師匠の思いを受け止め、師弟不二の信心で、戦い、勝利することです。(同)