本抄について
本抄は、日蓮大聖人が遠江国の新池(静岡県袋井市新池)の門下である新池殿に送られたお手紙です。弘安2年
(1279年)5月の御執筆とされていますが、弘安3年(1280年)という説もあります。
新池殿は子どもを亡くし、その追善の思いを込めて、身延にいる大聖人のもとへ3石もの米を御供養しました。
大聖人は本抄の冒頭で、真心からの供養の品を御宝前に供え、最愛の子が成仏するように題目を唱えたと述べられ
ています。
また、本抄の末尾で大聖人は、 “申し上げたいことは多々あるが、風邪をひいて体が苦しいので、これでとどめて
おく” と記されています。本抄は、大聖人御自身が病魔と闘いながら、弟子を励まし奮い立たせるためにつづられ
たお手紙です。
拝読御文は、法華経への供養は、たとえわずかばかりに思えても、計り知れない功徳があることを教えられていま
す。
拝読御文で日蓮大聖人は、新池殿が法華経に対して真心から供養されたことは、わずかばかりの「小善」であるよ
うに思えたとしても、そこには計り知れない功徳があることを教えられています。
拝読御文の直後では、古代インドのアショーカ王が大国の王となったゆえんについて、王が過去世に土の餅を一つ、
釈迦仏に供養したことにあると示されています。アショーカ王は、仏法の慈悲の精神を政治に反映したことで有名
です。
また、釈迦仏の弟子である阿那律は、過去世において飢饉の時、辟支仏(縁覚)に稗の飯を供養したことで、食料
に不自由することのない境遇で生まれ、法華経の説法の会座で成仏の記別を与えられたと述べられています。
いずれも供養の功徳の大きさを教える内容ですが、法華経や法華経の行者である大聖人への供養には、これらにも
勝る大きな功徳があります。本抄で『法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れ
て候なり』(御書1436ページ)と仰せの通りです。
御文では「法華経に供養し」と仰せですが、法華経の行者である大聖人への供養を指して、このように仰せになっ
ていることは言うまでもありません。
拝読御文は、新池殿の米3石の供養に、どれほど大きな功徳があるかを示していますが、供養には、財物の供養だ
けでなく、広宣流布のためにわが身を使って行動することも含まれます。“ささやかな行動にすぎない”と思える行
為であっても、法のため、広布のための行動には想像だにしない功徳があります。
“法のため、広布のために”という心からの行動こそ大切です。
妙法は、あらゆる仏を仏たらしめた“根源の法”です。ゆえに、妙法を持ち弘める行動には、計り知れない功徳があ
るのです。
拝読御文を通して、偉大な妙法を持つ素晴らしさを確認するとともに、本年の健闘を互いにたたえ合いながら、
「世界広布新時代 拡大の年」の明年へ、勝利への決意も固く前進を開始していきましょう。
妙法の根本にして究極の功徳は、成仏、すなわち揺るぎない幸福境涯を確立することです。
妙法を信じ、その実践を始めることは、成仏という絶対的な幸福境涯への軌道に入るということです。妙法を根本
に生きることで、おのずと正しい生き方となり、幸福を築いていくことができるのです。
御書には『悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり』(762ページ)とあります。信心の実践に励み、
私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、知恵や安楽などの善を生み出すことが功徳です。
また『功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり』(同ペー
ジ)とあります。
六根清浄とは、私たちの六根(眼・耳・鼻・舌・身・意。六つの知覚器官)、すなわち生命の全体が浄化され、本
来もっている働きを十分に発揮することをいいます。これによって、私たちは、さまざまな困難に直面しても動揺
しない、力強い仏界の大境涯を、わが身に開き顕していくことができます。
妙法根本に仏界を現す実践によって、現実の人生と生活のうえに厳然たる功徳の実証が現れ、私たちは福徳に満ち
た生活を送れるようになります。
大聖人は、次のように仰せです。
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、鬼子
母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、さいはいは愛染の如く福は毘沙門の如くなる
べし、いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし』(同1124ページ)
すなわち、私たちは妙法の功力により、諸天善神の働きにも守られ、人生のさまざまな困難を乗り越えて、福徳に
包まれ、どのような場所であっても師子王のような恐れを知らない境涯でいることができるのです。妙法を持つ私
たちは人生の苦難を乗り越えながら、こうして恐れなく人生を歩んでいくことができます。
また、『法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし』(同1492ページ)と仰せのように、妙法
を受持する人は幸福をあらゆるところから招き寄せていきます。
南無妙法蓮華経という最高の法を正しく信じ持てば、妙法に具わる限りない功徳を受け切っていくことができるの
です。