本抄について
本抄は建治4年(1278年)2月、日蓮大聖人が三沢殿に送られたお手紙です。三沢殿は、駿河国(静岡県中央
部)の富士地方にある三沢に領地を持ち、住んでいました。
この頃、富士地方の熱原の門下への信仰を理由とする圧迫が始まっており、翌弘安2年(1279年)に熱原の法
難は頂点を迎えます。
三沢殿から大聖人への音信は久しく途絶えていましたが、三沢殿から使いがよこされたのを機に、大聖人は本抄で
三沢殿の信心を深めようと励まされました。
本抄では、大聖人が佐渡流罪以後、末法の衆生を救う真実の大法を顕したことを示されています。拝読御文で大聖
人は、正法・像法における仏法は末法には力を失い、その末法においては大聖人の仏法が世界に流布していくこと
を明らかにされています。
釈尊の入滅後において、時代とともに仏教流布のあり方が推移していく過程について示されたのが「正法」「像法」
「末法」という「三時」です。
「正法」とは仏法が正しく弘められていく時代、「像法」とは仏法が形骸化していく時代、「末法」とは仏法が混
乱して、その救済力を失っていく時代です。
正・像・末の三時の年数については古来、諸説が立てられてきました。日蓮大聖人の御在世当時は、正法千年・像
法千年説が広く用いられていました。大聖人は、正法、像法を千年ずつとする説を用いられています。
大聖人以前の時代から知られていた釈尊の入滅年代、さらに正法千年・像法千年説を踏まえると、西暦1052年
が末法の最初の年となり、大聖人の御在世の13世紀は末法の時にあたっていました。
また、大集経では、釈尊滅後の時代の移り変わりを、五百年ごとに五つに分けて示しています。第五の五百年には、
仏法の中でさまざまな見解が入り乱れて争う「闘諍堅固」の時を迎えます。
「闘諍」とは“争い”の意味で、この時代は、仏法の中で見解が入り乱れて、釈尊の正しい教え(正法)が分からな
くなり埋没してしまう「白法隠没」の時代でもあります。
大聖人は、この第五の五百年間「闘諍堅固」が末法の初めにあたるとされています。大聖人は、当時の日本こそ、
「闘諍言訟・白法隠没」という末法の様相そのものを呈していると捉えられたのです。
具体的には当時、仏法の中でも社会においても、対立や争いが絶えませんでした。そして、大聖人は、このような
時代を生きる人々を、どうすれば救えるのか、また、どうすれば時代を変革できるのかを追求されました。
しかし、大聖人御在世当時、諸宗による仏の部分的な教えが人々の無明(=生命の根本的迷い)を増幅させていま
した。
人々が無明を乗り越えて仏の覚りの生命を現すための根本法こそ、法華経の真髄である南無妙法蓮華経であると大
聖人は訴え、あらゆる人々を救おうとされたのです。
「御義口伝」に、『今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』(御書720
ページ)とあります。南無妙法蓮華経こそ、末法万年にわたって人々を救い続ける大法なのです。
本抄で日蓮大聖人は、佐渡流罪以前、以後を意味する「佐前・佐後」について触れられています。
大聖人は佐渡流罪の直前の竜の口の法難で発迹顕本され、妙法と一体である御本仏としての境涯を顕されました。
と同時に、大聖人は佐渡流罪以降、法華経に説かれる上行菩薩の振る舞いを示されていきます。
上行菩薩は、無数の地涌の菩薩の「上首」(=最上位の者)にあたり、法華経では釈尊滅後の悪世における民衆救
済のために、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に妙法弘通の使命が託されます。上行菩薩に法華経の肝要の法が
付嘱されることは、上行菩薩が“末法の教主”であることを示しています。
末法の教主とは、法華経に予言された通りに、法華経の肝要である南無妙法蓮華経を末法において弘通し、人々を
教え導く人のことです。この末法の教主こそ、上行菩薩の振る舞いをされた大聖人なのです。
拝読御文には、「但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候」とあります。
法華経薬王品第23で、釈尊は「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して」(法華経601ページ)
と述べます。
末法における一閻浮提広宣流布こそ、法華経に示された仏の心です。この法華経の心を、わが心として、末法広宣
流布を断固、進められたのが大聖人です。
拝読御文で、正法時代、像法時代に論師や人師の説いた法門は、太陽が出た後の星の光のようなものであると述べ
られています。
他の御抄でも大聖人は、南無妙法蓮華経の仏法を「太陽」に例えられています。
太陽は万物を照らします。そこに分け隔てはありません。それと同じように、大聖人の仏法は、あらゆる人を救う
大法です。
また、太陽は自らが光り輝いて、万物を照らします。同じように、大聖人の仏法を持つ私たちも、妙法根本に自ら
が輝いていくことができます。
そして、私たちの対話を通し、妙法を持つ友が一人また一人と広がれば、その輝きがあたかも太陽のように、社会
の闇を晴らしていきます。
さらに大聖人は、三沢殿をはじめとする門下は、大聖人の仏法に宿縁ある人々なのだから、頼りがいがあると思い
なさいと励まされています。偉大な妙法と共に歩めば、偉大な人生を築いていくことができます。大聖人の世界広
布への大確信、そして末法救済の大法を持ち弘める自負と誇りを拝し、勇躍、広布へ前進していきましょう。