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日眼女造立釈迦仏供養事

 

万物を揺り動かす強盛な祈りで

 

本抄について

本抄は日蓮大聖人が身延の地から、鎌倉の門下である四条金吾の妻・日眼女に送られたお手紙です。これまで弘安

2年(1279年)の御述作とされていましたが、本抄の内容等から弘安3年2月の御執筆と考えられます。

この年、日眼女は37歳の厄年に当たっていました。厄年は人生の節目とも捉えられ、厄年に伴う災難に対して、

当時、さまざまな備えをしていました。日眼女は、この時、大聖人に御供養をしましたが、本抄は、その返礼のお

手紙です。

大聖人は本抄で、日眼女の信心をたたえられながら、日眼女が諸天善神から必ず守護されること、また妙法を持つ

日眼女が女性の中の第一の存在であり、成仏は疑いないことを教えられています。

拝読御文では、根本の仏である「教主釈尊」を動かす強盛な祈りが万物を揺り動かすことについて述べられていま

す。

 

◇ 唱題の意義

日蓮大聖人は、教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか、騒がない水があるだろうかと仰せになり、

妙法の祈りの偉大さを述べられています。

この仰せの中で、“教主釈尊を動かせば”と、主体的な実践を促しているところに、日蓮仏法の特徴が表現されてい

ます。

“祈り”という行為は、宗教と切っても切り離すことができません。しかし、仏教を含めて、その多くが、ひたすら

神仏に救済を求めるだけであったり、死後の安寧を願うだけの依存的、消極的なものです。

これに対して、一人一人の生命に仏性が具わっていると説く日蓮大聖人の仏法では、『口に妙法をよび奉れば我が

身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ』(御書557ページ)と仰せのように、御本尊を拝して主体的に祈ることで自

身の仏性を涌現することができます。

ゆえに、真剣な祈りによって勝利を開いていこうとする一念が何より大切になります。

例えば、大聖人は『あへて臆病にては叶うべからず候』(同1193ページ)、『叶ひ叶はぬは御信心により候べ

』(同1262ページ)と仰せになり、臆病な祈りでは何も叶わないことを繰り返し強調されています。

反対に大聖人は、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(同1352ページ)と、民衆の幸福のた

めに戦う法華経の行者の祈りは必ず叶うことを断言されています。広宣流布に一念を定めて強盛に祈っていくとき、

どんな願いも叶っていくのです。

さらに、大聖人は、こう仰せです。『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし(中略)譬えば小音な

れども貝に入れて吹く時・遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し』(同808ペー

ジ)

ここでは、ほら貝や鼓を例えとして、妙法を唱える声は全宇宙にまで響き渡っていくことを教えられています。

強盛な祈りが万物を揺り動かして、自らの願いが成就しゆくことを確信し、広布の佳節を刻む「5・3」へ、勝利

の歴史をつづっていきましょう。

 

 

「教主釈尊をうごかし奉れば」との一節をテーマにして、唱題の意義、ならびに「教主釈尊」との仰せについて解

説します。

 

「教主釈尊」について

「教主」とは、教法を説く主尊、すなわち仏のことです。

拝読御文で仰せの「教主釈尊」という仏は、宇宙と生命を貫く根本法、すなわち南無妙法蓮華経のことであり、釈

尊も、この法によって成仏しました。

日蓮大聖人は、末法の衆生のために、仏の生命である南無妙法蓮華経を御本尊として顕してくださいました。

この御本尊を信受して真剣に祈ることが、私たちにとっての“教主釈尊を動かす”実践になります。

大聖人は、拝読御文の前段で、法華経の文を踏まえながら、全宇宙の仏、菩薩、諸天善神は全て、「教主釈尊」と

いう仏から現れ出たものであると述べられています。

そして拝読御文で、頭を振れば髪が揺らぎ、心が働けば体が動き、大風が吹けば草木が揺れ、大地が動けば大海が

荒れるという道理を例えとして示されています。

仏法においても、これと同じように、「教主釈尊」という根本を大きく動かすことで、諸天善神など一切を揺り動

かしていくことができるのです。

本抄を振り返ると、日眼女は37歳の厄年に当たって、大聖人に御供養し、3寸(約10センチ)の釈尊の仏像を

造立しました。大聖人は、その報告を受けて、本抄で日眼女の信心をたたえ、励まされています。

この時、大聖人が仏像の造立を容認されたのは、当時の人々が阿弥陀仏や大日如来などを本尊としていたのに対し、

釈尊を立てることは、正法に向かっている行為といえるからであると拝せるでしょう。

大聖人は、当時の状況や人々の機根を考えて、日眼女の仏像造立を容認しつつ、御本尊を授与して正しく導いてい

かれたのです。

ここで、厄年というのは、人の一生の中で最も災難が多いとされて忌み嫌われる年齢です。当時も、人生の大きな

節目と捉えられていました。大聖人は本抄で、こうした境遇にいる日眼女に、諸天善神から守られ、また成仏は疑

いないと励まされています。

大聖人は、不安を抱える日眼女に、妙法の祈りを根本として災いを必ず乗り越えていけることを教えられている、

そう拝することができるでしょう。

一切を成り立たせている根本の法が、南無妙法蓮華経です。ゆえに、妙法を唱えることは、森羅万象に“働き掛け

る”ことになります。「教主釈尊」を揺り動かす強盛な信心の一念であってこそ、自身の生命のあらゆる力が発揮

されて、自らを取り巻く環境を変革していくことができるのです。

 

 

 


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